2022年1月4日火曜日

プリミドンの供給不安について

フェノバルビタールという薬品名で使われる、史上2番目に古い抗てんかん薬があります。百年前から使われている薬で、今ではほとんどタダのような薬ですが、いまだに開発途上国では最も重宝されています。投与量が大まかでよく、有効血中濃度が広いので使いやすい薬です。てんかん発作が痙攣発作とほぼ同義語の社会では、これほど心強いものもないでしょう。てんかん発作の中でも痙攣発作を抑制する力は抜群で、我が国でも脳外科の手術後などにも注射剤としてよく使われます。既に先進国では第一選択薬として使われていませんが、今でもこれがなくては発作が十分抑制できない患者さんは少なくありません。

なぜ第一選択薬でないかというと、その副作用のためです。程度に差はあっても眠気が必発で、脳機能低下をきたします。眠気は一方で発作を誘発する原因でもあります。かつて抗てんかん薬の種類が少なかった時代、この副作用を抑えた誘導体が試された時代があります。私は20年以上前、ペレストロイカ直後の混乱期ロシア北方領土から、医療協力として何人かの患者さんを大学病院で受け入れたことがありました。当時、ロシア人医師が使用していた薬の中に、薬学の本にしか表記のないバルビツレート誘導体の薬が何種類もあり、驚いたことを覚えています。日本でも同様の時期があったようですが、私が医師になってからも抗てんかん薬として生き残っていたフェノバルビタール以外のバルビツレートは、プリミドンだけです。

プリミドンは体内で代謝されるとフェノバルビタールに変化します。元のプリミドンも代謝されたフェノバルビタールにも抗てんかん作用があり、二段で効くのです。結局フェノバルビタールになるのだから副作用は同じと考える医師も多いのですが、血中濃度を測定すると、代謝が早いはずのプリミドン濃度の方が代謝の遅いフェノバルビタール濃度よりも高い人が少なからずいるのです。そして、こうした人に特徴的なのは、かなり眠気が少ないのです。かつての先輩医師から教えられた既に古参となった医者たちは、こうした使い方を用いて一部の患者さんの発作抑制に役立ててきました。

新人のてんかん専門医にこうしたことを十分教えてこなかったのも悪かったのかもしれませんが、次第にプリミドンの市場は縮小したらしく、新薬発売が相次ぐ中で採算が合わないこの古い薬を何度も中止したいとてんかん専門医に製造会社から打診される時期がありました。当然、これに古い医者たちは抵抗しました。マイソリンという商品名でかなりその会社の思い入れの入った名前でしたが、同社のクロバザムの商品名マイスタンと間違われることがあったらしく、薬品名プリミドンがそのまま商品名と同一になり、更に新しい抗てんかん薬の発売が相次ぐ中で、最大手のジェネリック医薬品会社に製造プラントごと売却されたと聞きました。

さすがにこの時は大丈夫かと気を揉む時期がありましたが、製造継続された事は患者さんのために良かったとも思われました。しかし、その後、今回のジェネリック医薬品メーカーの不祥事です。決められた製造過程や検査過程を無視して生産されていた薬が多いことが判明したのです。調べるとこうした事がジェネリック医薬品メーカー何社にもわたっていました。他の薬にまぎれた形ですが、プリミドンも製造中止となり、再三の製造延期に見舞われて生産されていません。この中で市場の在庫はとうに底をついています。供給不安に曝されて生産調整されている薬は少なくないと聞きますが、先発品が高いとか安い後発品がないなどの問題ではありません!他に代替薬のない患者さんがいることを医薬品メーカーは社会的責任としてどう考えるのでしょうか。古くても必要な薬を安定供給するべき行政の責任は問われないのでしょうか。

近くの調剤薬局には前もってプリミドンの在庫をかき集めてもらいましたが、すでに残り少なくなってきました。やむなくプリミドンをフェノバールに置き換えざるを得ない状況に追い込まれています。かなり慎重に変更しても痙攣発作が出現する患者さんが事実いるのです。今まで10年近くも発作なく通院している患者さんに、薬剤変更による発作出現の危険性が生じることを告げた際、不安に涙を浮かべる患者さんを見ると、この国の医療も落ちてきたのかと言いようのない憤りを覚えます。発作によって何度か失職経験があり、プリミドンで発作が抑制されていた患者さんが、薬剤変更中に痙攣発作が何度か出現したと電話連絡があって心配しましたが、再診時、「こんな事で負けられるか!」と啖呵を切られてやや救われた思いがしました。

2021年5月7日金曜日

精神障害を持ちながらの生活

 今から30年以上前、私が医師になったころの精神科外来は、今とはかなり異なる診療スタイルでした。精神科医が患者さんに尋ねることは主に2つ、寝ているか、食べているかです。精神障害は、人間の動物的な機能に反映されやすいからです。交わす会話が少ない分、何とか精神症状を見逃すまいと、患者さんの立ち居振る舞いや顔つき、話し方などを、よく観察していました。当時の精神科外来は今よりはるかに敷居が高く、多くが統合失調症圏の患者さんでした。

一方、現在はかなり多彩な患者さんが来られますので、お互い話す内容がはるかに増えました。精神病院の外来と異なり、町中の精神科・心療内科クリニックには、社会性が高く軽症の患者さんが多く通われている傾向もあるのでしょう。数十年前と比べ、非定型抗精神病薬など向精神薬の進歩が患者さんの社会生活を改善させてきたことも事実です。しかし、その分、以前のように薬だけの治療でよいのかという問題があらわになってきました。

そんな中で、今注目を集めてきているのが就労、広く言うところの社会参加の問題です。以前の精神科医は、ストレスを与えて病状が悪化することを嫌い、就労に対しては消極的であることも少なくありませんでした。しかし、現在は権利擁護の考え方に表れているように、全ての人が平等に社会参加することを目指すのが当然とされます。精神障害を理由に社会から隔離するような考えはさすがに時代錯誤となり、病状悪化を理由に社会参加を躊躇させるような精神科医の態度は、何のための治療かという点で問題にされます。

更に、社会参加や就労を通じて苦労しながらも精神症状が安定し、むしろ生き生きとしてくる患者さんを目の当たりにすることが増えてきました。就職しても続かず、挫折を繰り返した後に就労移行支援を受けて次第にたくましくなり、最後に障害者就労を勝ち取っていく患者さんや、育児放棄か児童虐待寸前の状態から就労継続支援を受ける中で、次第に自分の立ち位置を得て落ち着いていく母親を見ていると、特に治療はしなかったのに嬉しく思うのです。

以前は社会復帰が治療の目標とする考え方でしたが、こうした事例を見るにつけ、むしろ社会復帰していく過程自体が治療なのではないかと気づかされます。医師の役割は、むしろ社会参加を促進できるよう広く治療環境を見守ることであり、表面的な症状だけに捕らわれることではないことが分かってきました。今まで、いわゆる流行りの治療技法がいろいろ提唱され、時と共に廃れていきましたが、もっと自然な形での治療が人間関係の中に見出せるはずであり、当院はこれを応援したいと思うのです。

2020年6月11日木曜日

匿名の隠れ蓑

匿名、アノニマスという言葉は昔から精神科の世界でよく使われてきました。社会的に氏名を明かすことができない人々が匿名で自助組織を作るのは、アルコール依存症の人々から始まったと思われます。今では薬物依存、ギャンブル依存、摂食障害、引きこもりなど各種依存症や精神障害で悩む人々の自助組織もできています。いずれも社会から奇異な目で見られる人々が匿名で集まり、互いに励まし支え合うための組織です。

その後、私がアノニマスという言葉に出会ったのは、インターネットがオープンで楽天的であった時代、すなわち今のようなセキュリティを常に考えなければならない危険地帯でなかった時代に、色んなツールやデータを公開してくれるアノニマスFTPサーバ上でした。ここでは、善意に満ちた管理者からかなりお世話になったものです。

いずれも、匿名という言葉のイメージは悪いものではありませんでした。しかし、今では匿名と言うと、SNS投稿の隠れ蓑になっています。実名を公表することなく、全世界に向かって好きな事を言うために使われています。他人を中傷し、ネットで炎上させることが問題になっており、自殺者まで出る深刻さです。あたかも、人として卑怯とか卑劣という言葉は死語になってしまったように感じます。

自分の手を汚さず、スマート爆弾で人殺しをする権力者が、テロリストを卑劣と罵っても白々しいですが、ハラスメントに満ちた現代社会では、自分が攻撃されるのに臆病でも、他人を安全かつ徹底的に攻撃することが卑劣であるという感覚がないようです。人もやっていたからなどという言葉も聞かれますが、むしろ、被害者が加害者に転じている場合もあり、傷つけ、傷つけられることに慣れて鈍感になっているのでしょうか。

昔、私の恩師教授の先代であった内村祐之先生は、患者に対して卑怯な態度をとることを極度に嫌ったと聞いています。父、内村鑑三ゆずりの生き方が根底にあったのかもしれませんが、人としての在り方について、時々思い出すと自戒させられます。

2018年7月3日火曜日

診察室から見た社会

カンヌ国際映画祭パルムドールを獲得したとして有名になった映画、是枝裕和監督「万引き家族」を見てきました。日常あまり映画を見る機会はないのですが、米寿になった母親の頭と身体のリハビリを兼ねることができる、格好の素材でもあったからです。日本の作品で映画祭の賞を獲得したものとしては異例の題名であり、何かの皮肉であろうと推察できました。

その内容は様々な場所で述べられていますので、特に注釈を加えるつもりはありません。多くの人を考えさせる内容ですが、様々な角度から見ることができる点と、人間性あふれる描写など、その芸術性が高く評価されたのでしょう。一部の人にとっては、本来見たくないものであり、世界に日本の恥を晒すものだと論評する人もあるようですが、ベースになった話は残念ながら今、まさに日本のいたる所にある現実です。

当院には、いわゆる精神障害(精神病や神経症)ではない患者さんも多く来院します。昔からあっても病気とは言われなかった事象に、新しいレッテルを付ける場合(必ずしもすべてが無益ではないが、一時的なものも少なくない)もありますが、背後に現代の社会や家族の問題を考えさせられることが少なくありません。その意味で、この作品は私にとって、毎日遭遇する患者さんの話とあまり変わりないものでした。

症状を改善するために投薬や助言するだけでなく、その原因に遡って解決を試みるには、患者さんの生活背景を知る必要があります。このために精神保健福祉士による相談支援業務を導入しましたが、十分な成果を上げています。医師の気づかない日常生活上の具体的な助言や指導が何より有効であることも多いのです。しかし、一方でケースワーカーが巧みに探り出す、医師に見せない患者さんの素顔を知るにつけ、医療行為が浅薄であるように感じられることが多くなりました。
 
精神障害、特に昔から知られている精神病や神経症などに医療として治療法はありますが、患者さんにとってそれだけでは不十分です。個々の患者さんが、病気を持ちながら生きていく方法を具体的に教えてくれないからです。様々な精神的ハンディキャップを持つ人々にとっても、具体的な生き方を模索する中で、同様の生きづらさ、生きにくさを感じているのではないでしょうか。むしろ病気や障害自体よりも、社会への溶け込み方、受け入れられ方に本質的な解決があるように思われるのです。

2017年10月11日水曜日

SSRIは危険な薬?

長くブログを書かずに放置してきましたが、怠け心を刺激する事例が相次ぎましたので、また少し書いてみることとしました。
 
最近、インターネットで薬の危険性を煽るような記事が多いためか、患者さんの向精神薬による警戒心の強さを感じます。具体的には、初診時からあまり薬を使いたくないとか、依存性のない薬にして欲しいとかの要望が強いのです。医師に対する信頼が低下している表れとも感じられますが、当院としての考え方を表明することは必要と思いました。
 
現在、心療内科・精神科において不安・抑うつ症状に対して第一選択としてSSRI(選択的セロトニン再取り込み抑制剤)と呼ばれる薬物が最も多く使われています。具体的には、パロキセチン(パキシル)、エスシタロプラム(レクサプロ)、セルトラリン(ジェイゾロフト)、フルボキサミン(デプロメール、ルボックス)と呼ばれる薬剤です。
 
SSRIは、うつ病・うつ状態に対して、それまでの三環系、四環系抗うつ薬と呼ばれるような古い世代の治療薬に代わって主流となりました。副作用が圧倒的に少ないことと、効果発現が早いことなどが主な理由とされてきました。SSRIは、うつ病・うつ状態に対してだけでなく、今日ではパニック障害に代表される強い不安、特に将来に対する不安である、予期不安に対して効果が強いこともよく知られ、社会不安障害、外傷後ストレス障害、さらに強迫性障害にまで適応は広がっています。
 
現在の精神科外来において見られるうつ病は、数十年前に多く見られた、患者さん自身に原因があると推定される、いわゆる内因性うつ病は相対的にかなり少数となり、環境要因が明らかであるうつ状態(広い意味での適応障害)が圧倒的に多くなりました。これは持続的な不安状況を背景とし、従来の抗うつ薬よりもSSRI向きの状況で、結果的にSSRIがうつ病・うつ状態治療の主流となり得たとも考えられます。
 
日本にSSRIが導入されたのは、例によって他の先進国よりかなり遅れたため、マスコミはなぜこの魔法の薬が導入されないのかと盛んに煽り立てた時期もあったほどでした。しかし、SSRIが広く使えるようになると、副作用を考えて慎重に投与しなければならない、専門家向きの三環系抗うつ薬と比べ、専門外の内科医でも気軽に使用できるSSRIは、必要以上に使用されるようになりました。
 
三環系抗うつ薬よりは安全と言っても、SSRIも薬ですから副作用があります。薬を突然中止した時の離脱症状で、浮動性めまいや頭痛、嘔吐などが見られることは広く知られた事実ですが、ネット上では容易に中止できない恐い薬であり、依存性があるなどと書かれたりします。適応外の患者さんに処方すれば脱抑制を起こしたり、刺激してしまうことも十分あり、誤った診断や不適切な処方が問題であることが多くあります。
 
以前書いたことのある、ベンゾジアゼピン系薬剤と比べれば、SSRIは効果が減弱して使用量が増える耐性(依存性)出現の心配はなく、慎重に減量する限り離脱症状をきたすことなく、中止も難しくありません。ただ、パニック障害などでは、減量中、あるいは中断後に不安発作が再燃することがありますが、これを依存症とか、離脱症状とは言いません。しばらく症状がなければ、段階的に減量・中止するのは他の薬剤と何ら基本的に違いはなく、当院では十分な説明の上で治療中断に応じています。少なくとも飲み続けなければならない薬剤ではありません。
 

2012年9月4日火曜日

ベンゾジアゼピン系薬剤は安全?

先日、80代の女性が新聞の切り抜きを持って受診されました。内科で2種類の睡眠導入剤を使っているが、安全なベンゾジアゼピン系薬剤でしょうかと訪ねるのです。その短い新聞の切り抜きは薬剤師が書いたもので、ベンゾジアゼピン系薬剤は安全なので、安心して使うことが出来るというような内容が書かれていました。記事をそのまま鵜呑みにしていた事に困惑しましたが、やや耳の遠い御老人に大きな声で何度も説明を繰り返し、別の薬に変更しました。
 
バルビツール酸系薬剤が睡眠導入剤の主流であった眠剤市場に、ベンゾジアゼピン系薬剤が登場した数十年前ならいざ知らず、今でもこんな事を書けるのかと驚きます。確かに自殺にも使われ、致死率が高いバルビツール中毒と比べれば、ベンゾジアゼピン系薬剤はバケツ一杯飲んでも死ぬことは無く、安全ですが、そもそも現在は比較となる危険な睡眠導入剤が存在しない時代です。
 
日本は世界的に見ればベンゾジアゼピン乱用大国であることは広く知られた事実です。私はこの国で覚醒剤や麻薬、脱法ドラッグなどによる中毒性薬剤嗜癖の問題があると言われながら、それほど蔓延したように見えないのは、合法的ベンゾジアゼピン乱用があるためではないかと疑っています。
 
この系統の薬剤は催眠・鎮静・抗不安・抗けいれん・筋弛緩・健忘作用を持っており、その特長を生かして臨床に用いられてきました。多くの会社から様々な商品名で出されており、一見、全く違う薬のように思われますが、活性中間代謝産物の多い長時間作用型か、体内の脂肪組織などに再分配されて血液中から消失しやすい短時間作用型化に分けられているに過ぎません。あるものは睡眠導入剤として、またあるものは抗不安薬として適応症が決められていますが、根本的には同種薬剤なので、組み合わせればそれぞれの作用が増強されることになります。
 
この薬で最もやっかいなのが耐性(慣れ)の問題です。ほぼ全ての人に対して催眠・鎮静・抗不安作用を示しますが、常用すると慣れてしまい、効かなくなってきます。以前は1錠で眠れたのに、2錠ないと眠れない、あるいは1錠で不安が収まったのに今では2錠必要だとなるわけです。増量すれば効果は増しますが、減量するのは他の薬よりも困難で技術を要します。多量になると酩酊感や多幸感を伴い、アルコールと併用するとこれが増強するなど、薬剤依存になる温床が潜んでいます。
 
長時間作用型を使うてんかんの患者さんに対しても同様で、初期に発作が抑制されてもこれが持続せず、結局は継続使用できない場合も少なくないため、効果が一過性であれば多量になる前に見切りをつける必要があります。
 
高齢者に使う際は筋弛緩・健忘作用に注意が必要です。夜間にトイレに行く際、足腰に力が入らず、脱力して転んでしまい、腰の骨(大腿骨頭)を折る事故につながる可能性が高くなります。お年寄りが寝たきりとなる大きな原因です。また、昨日のことを思い出せない、呆けたのではないかなどと指摘されることが多くなります。抑制を欠いた言動が増える場合もあります。
 
米国ではベンゾジアゼピン系薬剤は限定使用で一過性に使う以外は持続的使用に適さないとされ、継続的使用はてんかんなど一部の用途で例外的とされます。依存性のある薬剤は治療薬と見なさないという立場です。社会的に乱用された既往があるため、海外旅行では日本からの持ち込み禁止となっている薬剤があるという事実は意外に知られていないようです。
 
海外から再三指摘されたこともあってか、厚生労働省もベンゾジアゼピン系薬剤の使用抑制にようやく重い腰を上げたらしく、最近、抗不安薬、睡眠導入剤などとしては2種類以上を使用しないなどの抑制策が採られるようになりました。ただ、この種の薬剤は内科などの診療科で投与されていることも多く、複数の診療科にかかっている患者さんでは注意が必要です。医療情報のIT化に伴ってこうした規制は必然的に強まるでしょう。
 

2012年2月25日土曜日

4月1日より病院名を変更します

当院が医療法人社団灯信会に移行するのに伴い、4月1日より病院名を「さざ波てんかん神経クリニック」に変更します。

診療内容は精神科・心療内科であり、今までと変わりません。いわゆるメンタルクリニックとして様々な心の病に苦しむ方に対して診療を続けます。

さざ波は、感情や精神症状など、こころの波を抑えて穏やかにするという意味と、私の専門である脳波検査の異常波を抑えるという両方の意味を持たせました。

てんかんは、現在の70代以上の方々であればかつて良く知られた疾患でしたが、その後の薬の普及により、社会的に目立たない存在になりました。患者さんはてんかん発作がなければ健常人と変わらない生活を送っていますので、社会的な偏見にさらされなくなったことは良いことです。しかし、新たにこの病気になって専門的治療を求める方には困る事態が生じています。近年では、車の運転に伴うてんかん発作の問題や、高齢者のてんかん発作の問題が社会的に取りざたされています。小児期から老年期に至る様々な問題を抱える疾患で、小児科、精神科、神経内科、脳神経外科が担当しますが、てんかん科は厚生労働省の認める標榜診療科にないことから、専門診療分野のてんかんを病院名に加えました。

当院は精神科の立場でてんかん発作の治療と、これに伴う心理社会的ならびに精神医学的な治療を行います。