今から30年以上前、私が医師になったころの精神科外来は、今とはかなり異なる診療スタイルでした。精神科医が患者さんに尋ねることは主に2つ、寝ているか、食べているかです。精神障害は、人間の動物的な機能に反映されやすいからです。交わす会話が少ない分、何とか精神症状を見逃すまいと、患者さんの立ち居振る舞いや顔つき、話し方などを、よく観察していました。当時の精神科外来は今よりはるかに敷居が高く、多くが統合失調症圏の患者さんでした。
一方、現在はかなり多彩な患者さんが来られますので、お互い話す内容がはるかに増えました。精神病院の外来と異なり、町中の精神科・心療内科クリニックには、社会性が高く軽症の患者さんが多く通われている傾向もあるのでしょう。数十年前と比べ、非定型抗精神病薬など向精神薬の進歩が患者さんの社会生活を改善させてきたことも事実です。しかし、その分、以前のように薬だけの治療でよいのかという問題があらわになってきました。
更に、社会参加や就労を通じて苦労しながらも精神症状が安定し、むしろ生き生きとしてくる患者さんを目の当たりにすることが増えてきました。就職しても続かず、挫折を繰り返した後に就労移行支援を受けて次第にたくましくなり、最後に障害者就労を勝ち取っていく患者さんや、育児放棄か児童虐待寸前の状態から就労継続支援を受ける中で、次第に自分の立ち位置を得て落ち着いていく母親を見ていると、特に治療はしなかったのに嬉しく思うのです。
以前は社会復帰が治療の目標とする考え方でしたが、こうした事例を見るにつけ、むしろ社会復帰していく過程自体が治療なのではないかと気づかされます。医師の役割は、むしろ社会参加を促進できるよう広く治療環境を見守ることであり、表面的な症状だけに捕らわれることではないことが分かってきました。今まで、いわゆる流行りの治療技法がいろいろ提唱され、時と共に廃れていきましたが、もっと自然な形での治療が人間関係の中に見出せるはずであり、当院はこれを応援したいと思うのです。