当院が医療法人社団灯信会に移行するのに伴い、4月1日より病院名を「さざ波てんかん神経クリニック」に変更します。
診療内容は精神科・心療内科であり、今までと変わりません。いわゆるメンタルクリニックとして様々な心の病に苦しむ方に対して診療を続けます。
さざ波は、感情や精神症状など、こころの波を抑えて穏やかにするという意味と、私の専門である脳波検査の異常波を抑えるという両方の意味を持たせました。
てんかんは、現在の70代以上の方々であればかつて良く知られた疾患でしたが、その後の薬の普及により、社会的に目立たない存在になりました。患者さんはてんかん発作がなければ健常人と変わらない生活を送っていますので、社会的な偏見にさらされなくなったことは良いことです。しかし、新たにこの病気になって専門的治療を求める方には困る事態が生じています。近年では、車の運転に伴うてんかん発作の問題や、高齢者のてんかん発作の問題が社会的に取りざたされています。小児期から老年期に至る様々な問題を抱える疾患で、小児科、精神科、神経内科、脳神経外科が担当しますが、てんかん科は厚生労働省の認める標榜診療科にないことから、専門診療分野のてんかんを病院名に加えました。
当院は精神科の立場でてんかん発作の治療と、これに伴う心理社会的ならびに精神医学的な治療を行います。
2012年2月25日土曜日
2012年2月1日水曜日
入浴中のてんかん発作による事故
先日、悲しい知らせをお聞きしました。ご家族から、患者さんが入浴中にてんかん発作で亡くなられたとのことでした。
昨年は、運転中のてんかん発作がかなり問題となり、多くの患者さんが心配されました。運転しなくても免許のあることが身分証明書でもあるかのように扱われる現在、この問題は決して小さくありません。人を傷つけるかもしれないと周囲から見られて運転するのは辛いことです。ただ、発作による運転事故を予防するには明確な基準があり、これを守ってさえいれば人を傷つける危険はほとんどなく、まして患者さん本人が運転事故で亡くなることはありません。
また、多くの患者さんや医療者が懸念する、発作が止まらなくなる重積発作や、発作による直接的な事故も、十分な治療下であればほとんど経験しません。
しかし、気をつけているようでも溺死、特に自宅で入浴中の事故は跡を絶ちません。同じ水辺の事故でも川や海の事故は聞いたことがありますが、プールでは溺れそうになって途中で助けられたことがあっても、溺死の経験はありません。
自宅での入浴は毎日のように機会が多い上、問題なく過ごすことも多くて油断するのでしょう。特に、私の患者さんで亡くなられた人のほとんどは、発作がむしろ改善してきた人たちでした。日単位、週単位で起きていた発作が少なくなり、一緒に「良かったね」と言っていた矢先であることが多いのです。
毎週何度も起きていた意識消失発作がなくなり、それまで年老いた母親と共に入浴していた娘さんは、もう大丈夫だと油断して一人で入浴中に事故に遭いました。また、発作の前兆があるから危険を避けられると油断していた男性も、一人で入浴中に事故で帰らなくなりました。
こんなことを書かざるを得ないのは、事故で亡くなられた患者さんは、私がそれまでに何度も入浴の危険性を話してきた人たちでもあったからです。すべてのてんかん患者さんに、かなりの時間を割いて入浴の危険性を説明してきましたが、それでもこうしたことが繰り返されます。
寒い季節になると、シャワーだけで過ごせと話すのは酷に聞こえるかもしれませんが、一人で入浴することがどれほど危険か考えてほしいのです。何年も発作がないある女性の患者さんは、子供が成人するまでは死ねないからと言って、冬でもシャワーだけで過ごしています。
ご夫婦であれば恥ずかしがらずに一緒に入浴するように、乳幼児でなければ子供と一緒に入浴するように指導してきました。誰か、発作を自動で感知して即座に水が抜ける浴槽を作ってくれないものかと考えたりもします。
患者さんとの何年にもわたる共同作業で、服薬治療を組み立ててきた末、こうした結果に至ってしまうと、どうしようもない無力感に襲われます。発作を抑制しようとしたこと自体が良かったんだろうかとまで思えてしまうのです。
昨年は、運転中のてんかん発作がかなり問題となり、多くの患者さんが心配されました。運転しなくても免許のあることが身分証明書でもあるかのように扱われる現在、この問題は決して小さくありません。人を傷つけるかもしれないと周囲から見られて運転するのは辛いことです。ただ、発作による運転事故を予防するには明確な基準があり、これを守ってさえいれば人を傷つける危険はほとんどなく、まして患者さん本人が運転事故で亡くなることはありません。
また、多くの患者さんや医療者が懸念する、発作が止まらなくなる重積発作や、発作による直接的な事故も、十分な治療下であればほとんど経験しません。
しかし、気をつけているようでも溺死、特に自宅で入浴中の事故は跡を絶ちません。同じ水辺の事故でも川や海の事故は聞いたことがありますが、プールでは溺れそうになって途中で助けられたことがあっても、溺死の経験はありません。
自宅での入浴は毎日のように機会が多い上、問題なく過ごすことも多くて油断するのでしょう。特に、私の患者さんで亡くなられた人のほとんどは、発作がむしろ改善してきた人たちでした。日単位、週単位で起きていた発作が少なくなり、一緒に「良かったね」と言っていた矢先であることが多いのです。
毎週何度も起きていた意識消失発作がなくなり、それまで年老いた母親と共に入浴していた娘さんは、もう大丈夫だと油断して一人で入浴中に事故に遭いました。また、発作の前兆があるから危険を避けられると油断していた男性も、一人で入浴中に事故で帰らなくなりました。
こんなことを書かざるを得ないのは、事故で亡くなられた患者さんは、私がそれまでに何度も入浴の危険性を話してきた人たちでもあったからです。すべてのてんかん患者さんに、かなりの時間を割いて入浴の危険性を説明してきましたが、それでもこうしたことが繰り返されます。
寒い季節になると、シャワーだけで過ごせと話すのは酷に聞こえるかもしれませんが、一人で入浴することがどれほど危険か考えてほしいのです。何年も発作がないある女性の患者さんは、子供が成人するまでは死ねないからと言って、冬でもシャワーだけで過ごしています。
ご夫婦であれば恥ずかしがらずに一緒に入浴するように、乳幼児でなければ子供と一緒に入浴するように指導してきました。誰か、発作を自動で感知して即座に水が抜ける浴槽を作ってくれないものかと考えたりもします。
患者さんとの何年にもわたる共同作業で、服薬治療を組み立ててきた末、こうした結果に至ってしまうと、どうしようもない無力感に襲われます。発作を抑制しようとしたこと自体が良かったんだろうかとまで思えてしまうのです。