2018年7月3日火曜日

診察室から見た社会

カンヌ国際映画祭パルムドールを獲得したとして有名になった映画、是枝裕和監督「万引き家族」を見てきました。日常あまり映画を見る機会はないのですが、米寿になった母親の頭と身体のリハビリを兼ねることができる、格好の素材でもあったからです。日本の作品で映画祭の賞を獲得したものとしては異例の題名であり、何かの皮肉であろうと推察できました。

その内容は様々な場所で述べられていますので、特に注釈を加えるつもりはありません。多くの人を考えさせる内容ですが、様々な角度から見ることができる点と、人間性あふれる描写など、その芸術性が高く評価されたのでしょう。一部の人にとっては、本来見たくないものであり、世界に日本の恥を晒すものだと論評する人もあるようですが、ベースになった話は残念ながら今、まさに日本のいたる所にある現実です。

当院には、いわゆる精神障害(精神病や神経症)ではない患者さんも多く来院します。昔からあっても病気とは言われなかった事象に、新しいレッテルを付ける場合(必ずしもすべてが無益ではないが、一時的なものも少なくない)もありますが、背後に現代の社会や家族の問題を考えさせられることが少なくありません。その意味で、この作品は私にとって、毎日遭遇する患者さんの話とあまり変わりないものでした。

症状を改善するために投薬や助言するだけでなく、その原因に遡って解決を試みるには、患者さんの生活背景を知る必要があります。このために精神保健福祉士による相談支援業務を導入しましたが、十分な成果を上げています。医師の気づかない日常生活上の具体的な助言や指導が何より有効であることも多いのです。しかし、一方でケースワーカーが巧みに探り出す、医師に見せない患者さんの素顔を知るにつけ、医療行為が浅薄であるように感じられることが多くなりました。
 
精神障害、特に昔から知られている精神病や神経症などに医療として治療法はありますが、患者さんにとってそれだけでは不十分です。個々の患者さんが、病気を持ちながら生きていく方法を具体的に教えてくれないからです。様々な精神的ハンディキャップを持つ人々にとっても、具体的な生き方を模索する中で、同様の生きづらさ、生きにくさを感じているのではないでしょうか。むしろ病気や障害自体よりも、社会への溶け込み方、受け入れられ方に本質的な解決があるように思われるのです。