てんかんにおける精神・行動障害2

てんかんと知的障害
知的障害は持続的な全般性の脳機能低下と定義されます。知的に一回獲得されたものが退行した場合は痴呆。教育課程の中で獲得することができなかった場合、すなわち、脳の全般性機能低下のために知的発達が遅れた場合は精神遅滞といいます。内容は似たようなものです。記銘力の低下という問題で、新しいことを覚えるのが苦手です。これは病気の原因、発作の頻度、罹病歴がどれくらいあるかによって千差万別で一様には言えません。理解力・判断力が弱く、仕事をしようというときには作業効率、生産性が大きな問題になります。表現力が弱く、言語的コミュニケーションが上手にできないので、何を考えていて、何が苦痛なのか人に分かってもらうのが難しい。最終的には、そういう細かな障害が重なって環境適応力が弱くなり、容易に適応障害を起こしやすくなります。教育的指導と訓練が非常に重要です。

症例④ 適応障害
適応障害の二十六歳の男性です。六歳の時に全身けいれんと意識消失発作で発病しました。小・中学校は成績下位で虐めを受け、中卒後にはリストカットなどの自傷行為が出現し、家庭内暴力に発展していきました。柱とか鴨居などの家の構造体を壊すことを繰り返し、家族は数回の転居で数百万円の損害賠償をした後、止むを得ず世帯分離しました。十六~二十歳の間に五回も精神科の入院歴があります。単身生活をしながら、訪問看護と定期的なヘルパーによるケアを受けていました。てんかん発作治療を目的に当科を初診しました。当初、言語的コミュニケーションがほとんど無く、喋りません。「うー、あー、おー」しか言わない状態でした。エクセグラン、リボトリール、デパケンRを投与されていましたが、外来で全て中止し、テグレトール単剤として安定剤を減薬、作業所へ通所させた結果、情動表出が多くなり、母親と一緒に定期的外来通院を維持することができるようになりました。そこで、てんかんの精査を目的に入院となりました。心理検査で中等度知的障害が判明。頭に電極を付けて長時間脳波検査を行ないましたが、一日で検査の電極をむしり取ってしまい、自己中断してしまいました。入院という環境変化に耐えられなかったと考えられました。何回も同様の検査を実施することで検査環境に慣れさせようということになり、時期をあけて二回目以降も同じ検査を続けた結果、四回目は七日間に及ぶ長時間脳波検査を施行することができました。最終検査でようやく右の前頭葉に始まる発作波とこれに引き続くてんかん発作が記録できました。これに基づいて薬を変更し、発作の頻度は少なくなりました。
知的障害を持つ患者さんは環境に対する適応が難しいのですが、繰り返すことで順応できるようになる場合があります。

心因性(非てんかん)の発作
非てんかん性の精神症状として最も多いのは心因性の偽発作です。解離性あるいは転換性障害とも分類される、かつてのヒステリー発作です。厄介なのは、全てが偽発作であれば対応は一様でよいのですが、しばしば真のてんかん発作と合併することが多く、てんかん患者は自らの内的葛藤を発作という形で表現することがよくあります。

症例⑤ 偽発作
二十五歳の女性の症例です。六歳の時に言葉の遅れと落ち着きのなさから受診した神経科で脳波異常を指摘され、明らかなてんかん発作はなかったにもかかわらず抗てんかん薬の予防投与されました。その後、思春期ごろからボーッとする発作があったようですが、家族はこれがてんかん発作だとは気づきませんでした。二十歳の怠薬時にけいれんがはじめて出現しました。以後、規則的に服薬するようになりましたが、時々発作が出現しました。養護学校高等部を卒業し、障害者就労で働き始めましたが、しばしば職場で虐められたと家族に漏らしていました。病院が閉院したため、当院を初診しました。当初は前処方を引き継いだのですが、ある日帰宅後、落ち着かず、問いかけに全く答えず、一睡もしない不穏状態になり、てんかん発作を疑われて入院しました。しかし、脳波は全く異常が見られず、偽発作と判断されました。心理検査では中等度知的障害が見られました。同様のエピソードを七回繰り返しましたが、不眠を機に本物の全身けいれん発作も起こします。発作後の朦朧状態の識別が困難な場合もあり、同様の不穏状態でも、私が厳しい口調で語りかけると、「発作」と言い、手足をばたばたさせながらも返答することがしばしばありました。対人関係をめぐる心労がきっかけであることが多く、数カ月から一年程度の期間ジョブコーチの支援を受けての障害者就労なのですが、なかなか定着しない状況が続きました。発作がむしろ非てんかん性であることが多いのですが、本物も時にあることで、識別に困ったご家族が連れてくることを繰り返しました。
こうした場合、医療的な問題とは別に、家族・職場を調整する必要が出てきます。